忙中ニコマスあり

アイドルマスター徒然

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愛ってなんだ 

 ……という問いに対してはとうの昔に「ためらわないこと」であるという答えが出ているのですが、

 ためらわない例。


 ニコマススレの方で自作を「愛を感じる」と他貼りして紹介してくれた方の書き込みに対して、少しの間話が進んでいたのでちょっと紹介。
 曰く、「愛を感じるので見てくれ」という紹介者に対し、

・愛のないニコマス動画なんてあるの?

・自分の好みでないものに愛がないとレッテルを貼る人が多いので「愛」なんていらん。

・被写体に対する愛情を感じる映像というのは確かにあるんだけど、感情論ではなく、技術に裏打ちされた話になるし、そういう作風でなければ愛がないのかというとそんな訳でもない。


 等と、愛がある/ないという見る側の感情表現についての意見が出たのです。
 
 まあ、紹介した当人は、「否定じゃないから勘弁w 愛はともかく良いから見てくれ」と返信しています。すぐ後で指摘されていましたが、「愛がある」なんて普通に多用される言葉だろう、と。発信側と一部の人達の温度差のようなものを感じた一幕でした。


 作った側からあえて言うのなら、「他貼り超ありがとう」かな……つうかもはや自演なのかどうかは証明できませんが、前スレにおいて投稿とともに自貼りをすでにしています。としか言えません。


 見た当人が感じた「愛」って果たしてなんなの? という話。

 これはつまるところ、「愛がある/ない」を感じるというのは、自分が持っている「愛」と都合上呼ぶ感情と、作品から見る側が読み取った(ココがポイント)考え方が同じ方向を向いているか相反しているか、ということですよね。

 そこにおいて、愛がないと切ってしまうというのは、よほど自分の不文律が大事であり、皆もこのように対象を愛して欲しいちゅう願いなのでしょうか。


 その辺も含めて↓の自作は意識してない、と言えば嘘になる。



 「胸のところペロンとひん剥きたい」とコメントした方、少しためらった方がいいかもしれません。
( 2008/12/04 23:50 ) Category 動画づくり | TB(0) | CM(0)
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