● 四条貴音と知らないこと
ふと、四条貴音がこんなことを問うた。
「それは……どんな味がするのでしょうか」
「へ? 味?」
問われた我那覇響は目をぱちくりとさせた。
貴音の視線の先を追ってみれば、そこには響がおやつ用に持ってきたコンビニの袋。冬の足音が聞こえてくると同時に、コンビニエンスストアも温かい饅頭の什器が稼働し始める。レッスン場に来る前に立ち寄った店でちょうどふかしたての肉まん達が並んでいるのが目に入り、ついつい買ってしまったのである。
レッスンスタジオに入るやいなや、肉まんがあったあった、ここって電子レンジあったよね? と騒ぎながら自分の荷物と共に袋を置いていたのだ。
「肉まんのこと?」
「はい」
「肉まんの味って……うーん改めて聞かれると難しいぞ……美希―」
「なあに~」
マイペースに身体をストレッチしていた星井美希は、両足を開きぺったりと上半身を床につけながら返事をした。
「肉まんは肉まんなの」
「だよね」
二人の反応を見た貴音は少しすまなそうな顔をした。
「……申し訳ありません」
「えっ、なんで謝るの!」
またもや響は目を丸くした。よもや肉まんの味でこんな顔をされるとは。
「二人のその答えを聞けばわかります。これは『普通のこと』なのですね」
「いや、まあ、そうだろうけど……」
「困らせてしまいました」
「食べてみれば?」
美希のなんとはなしの提案に、響と貴音が固まる。
貴音は至って生真面目な顔のままである。
しかし、貴音の背後に力強い光のオーラのようなものを響は見た。見えてしまった。
「……提案があります」
「うぎゃー! 最後まで言わなくていい! いいってば!」
凄まじく思い詰めた表情で話を切り出した貴音を響は遮った。
「……レッスン終わった後に食べていいぞ。でも半分こな!」
「なんと……」
「なんとじゃないよ、『普通のこと』で難しい顔しなくていいってこと!」
「ありがとうございます。我那覇響」
「固いなあ……ん?」
げんなりする響の後ろにいつの間にか美希が立っていた。
「ミキのは?」
「あー!」
響は髪を掻き毟って叫んだ。一つ結びで大きなポニーテールがぼさぼさになる。
「三つに分けると流石にちょっとずつになっちゃうぞ」
「私は…………構いません」
「すっごく泣きそうになってる!?」
「あ、ミキいいこと思いついたの」
「はいなに……」
響は二人それぞれの異なるマイペースぶりに抵抗する意思を無くしていた。
「レッスンで振付を覚えるのが一番遅かった人が肉まんをもう二つ買ってくるの!」
「成程」
「うえええ」
頷く貴音。響はうめく。
我那覇響は実際、ダンスレッスンならば相応の自信がある。
この二人にひけを取ることは『自分は完璧』なので全くないと思っているし、勝負ごとならば勝たねばならない。
ただし、貴音も美希も、得体の知れない底力を秘めているのでは、と響は薄々感じ取っていた。
特に今目の前の二人の様子は初めて見るものだった。
美希は自分のした提案が気に入ったらしく、目がらんらんとしている。
響の記憶上、レッスン前の美希は半分寝ているような顔で、いざレッスンに入っても自分の番以外は殆ど退屈そうに呆けているのが殆どだった(それでいて響が苦労した課題をあっさりと解決してみせていたりで面白くなかった)。
貴音はいつも真剣だ。背が高く、異国人のような雰囲気に最初はびっくりしたが、話しかければ優しく微笑んでくれた貴音をすぐに気に入った。
……その真剣さが肉まんに向くとは思ってもみなかったが、これも油断はできない。
「ちょっと面白くなってきたの」
美希は思ったままのことを口にした。
星井美希は三人でのレッスンをする、ということにそこまでモチベーションを上げずに数回のレッスンを過ごしてきていた。
言われたことは難しいことでも何でもなく、むしろやたらこちらを観察しているような講師の目が気になっていた。
レッスンで一緒になった二人についても多くのことを知らない。
響という子は小さいが元気で自信満々ですごいなあ、と感心していた。美希にはどうしても全部のことにあんなに元気が出せない。
貴音という子は綺麗だな、と同時に窮屈そうだな、と感じていた。年上で落ち着いていて、金髪に染めている自分と違って完全に地毛で美しい銀色の髪。立っているだけで匂い立つような気品の良さ……にも関わらず、レッスンでの彼女の表情は余裕がなかった。
でも、肉まんのことを聞いた貴音の顔は「面白い」と思ったのだ。
「確かに、心が弾んで参りました」
貴音は少し微笑んだ。
四条貴音は、肉まん、なる食べ物の未知の味覚に思いを馳せまくっていた。
肉まんが饅頭であることは察せられる。
もちろん茶菓子としての饅頭も知っている。
しかし菓子である饅頭に「肉」が入っているという件の食べ物について貴音はいささかの衝撃を受けていたのだ。
幼少時から生活していた四条家では茶菓子にとどまらず、出てくる食品全てが一級品以上のものだ。特に、貴音に対して出される食事は本人が把握している以上に細心の注意がなされていた。
故に、肉まんという、「小腹がすいた時に食べたい軽食」という概念自体が貴音に備わっていなかった。四条の家は貴音に小腹を空かせる、等という事態は絶対に起こさなかったのだから。
東京に来て芸能活動を開始した貴音にも無論、食生活が完全に管理されていた。
一人で出歩く等もっての他、昼間に仕事先で昼食を取る場合でも貴音のお付きの人間が認めた店、メニューでないと絶対に許されない。その為、このように間食をする機会というものは皆無に等しく、極端に言えば背徳に手を染める高揚感のようなものを貴音は感じていた。
貴音は我那覇響を好ましい人物だと判じている。
決して今肉まんを食べさせてくれるから、という理由だけでなく、幾度かばかり交わした交流の結果である。
自分に自信を持ち、しなやかな身体能力をさらに伸ばそうと努力している。かといってその自信で相手を蔑むことをしない。対抗心をぶつけることと同じ勢いで屈託なく話しかけてくる。やってくる状況に対して対応することしかしていなかった貴音にとって、自身の力を競う相手ができた、ということは大きな刺激となっている。
一方、貴音は星井美希という人物については測りかねていた。
華やかな容姿は三人中最も貴音のイメージしている少女のアイドルという観念にふさわしいと思っている。しかし、容姿以上に華やかなものが見いだせなかった。
迷い、というより意思が不足しているように彼女には見えた。
トップアイドルになる為にこの三人が集まっているのならば、ここに星井美希がいる理由がある。しかしそれを貴音は想像できなかった。ただ、肉まんを調達してくる為の勝負を提案した彼女の瞳がわずかに強い光を放ち色を変えたように見てとれた。
「よーしわかった。勝負だぞ!」
響はこぶしを手で包み、ポキポキと鳴らすポーズを取った(音は鳴っていない)
「自分が買ってきたのにみんなの分もう一回買いに行くことなんて、そんなみっともない真似できないからな!」
響は二人を交互に指さしながら叫んだ。
◆
「うう……みっともない」
「ご苦労様です。我那覇響」
「わーい肉まん肉まん!」
もはや泣きそうになりながらレッスン場に戻ってきた響からコンビニ袋を受け取り小躍りする美希、響をねぎらいながらも視線が恐ろしく正確に袋から離れない貴音。
「美希は反則だぞ……振付教えてもらってから練習なしでノーミスで踊るとか!」
「ミキ、見せてくれたら踊れるよ?」
「うわあ……なんでこの前とかその前のレッスンもそうしなかったんだ」
「うーん、よくわかんなかったから?」
「答えになってないぞ!」
三つの肉まんを温めに部屋を出た美希に向かって叫びながら、響は負けた悔しさに地団太を踏んだ。
レッスンで誰が一番早く覚えるか、という勝負はまず美希が一目講師の振りを見ただけで完全に踊りきりぶっちぎり勝利、続いて集中力が高まった貴音が成功、出鼻をくじかれて焦った響は最初に凡ミスを繰り返し、見事に買い出しに行かされてしまったのである。
地味に「負けた」という結果がのしかかってきて、響はうっすら目に涙を浮かべた。
「気が強いのですね」
貴音はそんな言葉を響にかけた。
「ううっ、負けたら悔しいのは当然だぞ」
「はい。私達は常日頃戦いの中にある身、その勇ましさは必要なことです」
どちらかというと喧嘩腰に近かった響は、その貴音の反応に虚をつかれた。
「……さっきの貴音さ」
「?」
「いつもより集中してたけど、肩の力はちょっと抜けてたような気がするぞ」
「そうでしょうか?」
「うん、いつもはちょっと、怖い顔してる時がある」
「怖い……」
「うん。あっ、でもそれって対戦相手にはプレッシャーになるから有利じゃないかな!」
響は怖いから嫌いというわけではないと慌ててフォローした。
貴音はそれに微笑みで返したが、少し思案する。
自分の見た目が怖い、と思ったことはなかった。 背が高く、肉づきのよい身体は他のアイドルである少女達を見るに、平均から大きいだろうくらいしか考えていなかったが、確かに小さきもの達から見て、単純に大きいということが怖いのかもしれない、ただ怖い顔をしている、していないということについては思い当たる節がなかった。
いつもオーディションや仕事に付き添っている事務所の人物からも一回もそんなことは指摘されたことはなかった。今度折を見て聞く必要がある。
「できたよ~」
美希が湯気の立つ袋を下げて戻ってきた。
ちなみにレッスン後に三人で確認したい事があると、人払いをしたのも美希である。この自主性は割と事件だったらしくダンスレッスン講師はかなり真面目な表情で了承し部屋を明け渡していた。
「これが……肉まん、なのですね」
貴音は肉まんを手渡され、両手で大事そうに包み込み、ほくほく湯気を立てる白い饅頭をしげしげと見つめた。
まず暖かいということに不思議な印象を受ける。
それに茶菓子として添えられる饅頭として考えると大きい。
包み紙を通して伝わるふかふかした手触りと甘い香り。
貴音は空腹ではなかったが、肉まんを前に心の弾みを覚えた。
「貴音、よだれたらしそうだぞ」
「やっぱり面白いの」
そんな様子を響と美希は驚きを交えて見守る。
「では、いただきます」
貴音は肉まんを一口かじる。割と思いきりかぶりついたので響はおおうと声を漏らした。
これが、肉まん……!
咀嚼することで味覚が捉える経験したことのない味が「答え」を連れてくる。
濃く味付けされた豚肉の餡の旨みの中で椎茸が香り、
タケノコが歯ごたえを演出する。
そして染み出す肉汁は、
ほの甘い饅頭の生地がすべて受け止め余すことなく味わうこと出来る。
渾然一体となったそれを噛みしめ、貴音は暖かい吐息を漏らした。
「すごいな貴音……肉まんでこんなに感動するなんて」
「おいしそうに食べるの」
響と美希も貴音のうっとりとした表情につられて、自分たちの肉まんにぱくついた。
肉まんである。
ごく普通の肉まん以上の味はしない。
響はもう一度貴音を見たが、やはり本当にうれしそうに肉まんを食べている。
肉まんのようなありふれたおやつを食べたことがないということに、響は何か驚きと寂しさのようなものを覚えた。
見た目からしてお嬢様、いやはやお姫様と言っても差し支えない四条貴音という年上の子。レッスンで怖い顔をしながら自分と競っている時の方がまだ現実味があった。
このように自分が当たり前としか感じない事柄に大きく感情を出した貴音を見て、ああ、本当に「特別な」子なんだという感慨がよぎったのだ。
ここに集められた三人は(自分も含めて)「特別に」集められた選りすぐりであることは自覚している。
何しろ自分達の行動に係る大人達がすごく多い。アイドルとしてデビューすることの高揚感と、満足感があった。
ただ、貴音においては少し事情が違う気がしていた。
(アイドルとしてというか、本人が「特別」というか……)
響や美希も送迎やスケジュールを伝える時に事務所のスタッフと会うが、その都度人間が違う。貴音の場合は、同じ人間なのだ。どうやら貴音専属らしい。
(確かに、ほっとけないもんな!)
響はそんな風に捉えた。
肉まん一つでこの騒ぎである。きっと他にも大変なことが沢山に違いない。
その点自分は完璧だ。一緒に暮らしている動物たちの世話も(ちょっと手伝ってもらっているが)レッスンも仕事も問題ない。競争相手の貴音や美希に対してもこんなにも寛大だ。この三人でそういうイニシアチブを取れるという自信に、響はにんまりとした。
「大変、美味でありました」
貴音はあっという間に肉まんを食べ終えた。達成感に満ちている。
「食べてる時の貴音って、とってもかわいいの」
美希は心底楽しそうに笑いかけた。
「かわいい、ですか」
貴音は首を傾げた。そしてすぐに眉を潜めた。
「少し、浮かれてしまったようですね」
「?」
美希は単純に貴音が魅力的であることを指摘したつもりだったのだが、貴音の捉え方は違ったようだった。
「今は休息ゆえに肉まんを堪能しておりましたが、次に競う時は遅れを取りません」
美希は面食らった。
貴音からすると「かわいい」とは自分の弱点を指摘されているような意味合いだったらしい。
「うーん……まいっか」
貴音が自分の「かわいい」を出し入れできるようになったら、もっと「面白く」なる……と直感しての言葉だったのだが、そうならないとなるならば、そんなに面白い話ではなくなる。
美希の中に頭をもたげかけた何かは、するりと消えていった。
誰とはなしにお開きの空気が流れ、3人は着替えて部屋を出た。
そしてエレベーターを待っている時、貴音がぽつりと口にした。
「このような事でも、私は学ぶべきことがあるのですね」
響と美希がそれを受け止めるのに、ほんの少しの間があった。
貴音も答えを期待していたわけではなかったようだ。
それでも、ここの場が一人ではなかったから、口に出た。
貴音がそのような事を漏らすのは大抵帰り車の中だけだったが。
「ふふーん! また何かわからないことがあったら聞いてもいいからな!」
ふんぞり返って胸を叩く響。
「響がやるからミキはやらなくていいね」
興味なさげにスマホをいじりながら合いの手を入れる美希。
「はい、その時はよしなに」
貴音は二人の様子に気合の入った微笑みを返した。
「次三人が集まるのはいつだっけ?」
「ミキまだ聞いてないよ」
「今週中に黒井殿が招集した会議があると聞きました」
「それ誰から聞いたんだ?」
「……担当の、方に」
「ミキ達にはいないのに、貴音はひいきされてるの」
「そうは思いませんが」
「次は何を持ってこようかなあ、貴音~他には何食べたことない?」
「それは……何か主旨を違えていませんか」
「あふぅ」
三人を乗せたエレベーターは騒がしさを乗せながらその扉を閉じた。
「四条貴音と知らないこと」 了